正しい見識か

ゆきのスピリッツ~創作の宴

裸の恩返し14

小さな反省会。 大げさすぎるだろうか? とにかく私は熱い湯は私を生まれ変わらせた。

「ほう、それはほんとうか?」
誰だ…? 時折私の思考に割って入ってくるのは?

ヨシ、それなら検証してみようじゃないか。
私は久しぶりの湯につかりこの数日間をポッポとゆで上がる体で振り返ってみた。

【比較と事故】 真冬の水は凍り付くように冷たい事をカラダで知った。 エコキュートの故障。これは事故とした。 一般的には故障というかもしれないが私の場合事故と判別する。
人がかかわるのだから事故ではないか? 正しい見識か? お湯が出なくなり水シャワーの滝行、水風呂生活はわずか10日だ。
世界各所で起きている洪水、地震などで被災した人たちは10日どころではない。 復旧のめどが立たない中の避難生活は絶望感さえ襲ってくるであろう。 ふろ水ではなく飲み水の確保ができないわけで私の場合とはわけが違う。
大きな問題を見れば自分の今が見えてくる。 そう、答えは簡単だ。私の今回は小さな故障だ。

【MC 独り言タイム】

「はぁ~い。私は甘い。あまちゃんだ。」
まぁいい。気を取り直して 続けよう。 この程度の浅い見解では今回の体験が何も生きてこないから。

【厳しさの真相】 私の生活は確かに厳しくカツカツだ。
そう思い込んでいるだけではないのか?
何不自由してこなかったはずではないか?
なんとか食べている現実がある。寝床あり、電気もつく。Oh…great
それは幸いな事実なのに、あれが嫌だ、これが足りないと重箱の隅をつつくように生きてきたのではないか。

こんな恵まれた私だから「湯」が出ないだけでパニックを起こす弱い人間になっていたのではないか。 パニックならまだいい。誰かに八つ当たりしてこなかったか? していたかも…八つ当たり。
地獄の冷水生活から天使が舞い降りるかのようなあたたかい湯への投没。(とうぼつ。幸せすぎて死ぬほど嬉しいという時に使う。その場に身も心も預けてもいい的な意味の造語。感動語。)

窮地を一旦回避したからこそ、こんな反省もできているのだろう。 冷静になれた。本当になれたか?生まれ変われたか? いささか、まだまだ疑わしい。

【現況とゆくえ】 私の今はどうだ? 貯蓄もない。 エコキュートの修理代も捻出できない。 貯蓄なしの人口は多いそうだ。皆そうか?いや違う。だからこのカツカツ度合いは自慢できた話ではない。

そんな生活だから一か月の「ゆあみパスポート」が切れればまた滝行だ。 頭から冷水をぶっ掛けることになる。

ゆでだこ寸前で露天から出ると反省会はここで一旦終了。
火照る体でプラプラと洗い場へと向かった。