自由に生きよう

「自分のことだけ考える」って、

あんまり良くないこととされているけれど、

本当にそうかな?

大事なのは、

自分は「自分のことだけ考えてる燃脂」という自覚があるかどうか

だと思うんだよね。

「自分のことだけ考えてる」から、

誰かに迷惑をかけても、怒られても素直に謝れるし、

周りの全てに対して感謝が湧いてくる。

だって、自分で決めたことだから。

自覚というか、覚悟かな。

一番メイワクなのは日本樓回報

自分のことしか考えてないのに、その自覚がない人。

「自分のことだけ考えるのは良くない!」

「私はいつも周りのことを考えてるのに!」

自分の理想を相手に押し付けるのは、

「自分のことしか考えてない」んじゃないのかな?

傷つく覚悟で、自由に生きよう。

怒られたら珍珍薯片、謝ればいい。

でも、自分を曲げちゃダメだ。

傷つくのを怖がって、

一歩引いたところで、常識人を気取っている。

それじゃあ、何も変わらない。

傷つくことは怖くない、でも決して強くない、

ただ何もしないままで、悔やんだりはしたくない。

いつも心に、リナ=インバースを。

ホイホイと大金

最近「BSジャパン」から「BSテレ東」に名称を変えた局に、わしがときどきチャンネルを合わせる番組がある。
「ワタシが日本に住む理由」(月曜午後9時から放送)。
この番組名に、番組コンセプトが100パーセント表現されている・・・という親切な番組。

つまり、日本が好きで長く住んでて、日本語がぺらぺらで、日本人の国民性や風俗習慣もよく理解していて、お湯の中に放りこんだ氷のように日本に溶けこんでいる外国人。

そうした外国人の、日本における生活や生き方をカメラで紹介しながら、日本のどういうところが好きで日本に長く住んでいるのか・・・を訊くわけだ。
それによって、日本人には当たり前すぎて見えなくなっている日本の良いところや、魅力的なところを教えてもらう。

そして最後に、好きではあっもあえて日本にモノ申したいところも訊く。
日本を愛するがゆえに、こういうところは直してほしい・・・というところがあれば言ってください、というわけだ。

多くは1人1度の登場だ。ところが2度も3度も継続取材されて放映されているアメリカ人女性がいる。Pさんだ。
日本人男性と結婚して新潟の田舎に住み、子供が5人いる。
典型的な日本風の農家に居住し、小猛獣のように走りまわりじゃれあう子どもたちに囲まれて生活している。アメリカ人の顔立ちを除けば、ほとんど日本の田舎の農家のおばさんって感じ。それほど日本に馴染んでいる。

そのPさんが言う。
彼女が日本でいちばん不可解なのは “オレオレ詐欺” だと。
日本では、冬のインフルエンザみたいに猛威を振るっているが、アメリカでは(おそらくヨーロッパでも)、このような詐欺師はぜったいに営業不能、もしくは棲息不可能と断言する。

子や孫を名乗る人間から電話がかかってきて、やむをえず会社の金を使いこんだ、今日じゅうに返さないと馘になる、助けて・・・と訴えるだけで、ホイホイと大金を振り込む。・・・なんてことはアメリカでは、ヘビがカエルに頼まれて肩車してやるのと同じくらいありえない話だと言う。

2018年8月2日に警察庁が発表したところによると、当年上半期(1~6月)に発生した全国の「特殊詐欺」件数は、全体としては昨年の同時期より7.6%減ったが、身内などを装ういわゆる「オレオレ詐欺」は、22.7%増と大幅に増えて「深刻な状況」にあるという。

なぜ、こうした外国ではありえない詐欺事件が、日本では大手を振ってまかり通るのか。

くだんのPさんは話す。
アメリカでは、万に一つでもそんな電話を子や孫がしてきたとしても、そっぽを向くという。あなたは成人した大人なのだから自分で対処しなさい、自分がした失敗は自分の責任で乗り越えなさい、と言って突き放す。つまり「オレオレ詐欺」なんて商売がなりたつ土壌がない。

しかしもし日本でそういう対応をしたら、冷たい人間と思われる。もっといえば人でなしと言われる。さもなければ、あそこの家族は崩壊していると後ろ指をさされる。

こういう幼稚な受け取り方がされるのは、やはり「自由」についての理解が中途半端だからだろう。日本人の「自由」の未熟さについては、戦後教育の失敗だったとかなり前から言われるているのだが、少しも改まらない。

ついでにいえば対応が「冷たい」というのは、「愛情がない、もしくは足りない」と言っているのだが、「愛情」についての理解も中途半端だ。日本人の子や孫に対する愛情は、ほぼ自己愛の延長だと思う。でなければペット愛に近い。80年も人間をやっていると、それが透けて見える。

先ほど書いたPさんの5人の子どもたちは実に生き生きしている。あれをするな、これをしてはいけない、などといちいち言われないからだ。
人間が社会で生きていくうえに必要な基本的なこと以外は、いちいち子どもに介入しない。彼らの発達段階に応じてしたいことは自由にやらせる。そのかわり、その結果として痛い思いをしたり辛い場面に出遭ったりしても、かんたんに助けない。自分のシリは自分でフケというわけだ。

モノに対する考え方はさまざまだし、生き方は人によって違って当然だ。
それでいいのだが、わしは「自由と責任」は「バナナの実と皮」だと思っている。
「自由」という実を食べるには、「責任」という皮をむかなければならない。
皮をむかずに実だけ食べることはできない。
いやできるかもしれないが、それでは本来のバナナの味はしない。
つまりフェイクバナナを食べてるだけだ。

・・・てなこと言ってるけど、わしも日本人だということを忘れてた。
言ってることとやってることはたいてい別だからね、人間は・・・。

自分のレベルよ

一流の実力を持つ人はやはり読むことを推奨しているという実例ですね。もっと英語を読みましょう。

正しい「多読法」でリーディング力をつける
手始めはリーディング力、つまり英文読解力をアップする方法です。読む訓練に最適なのは、なんといっても「多読」です。音読で、英語の語順に合わせ、左から右へ読んでいく力が付いたら、その勢いで左から右へ読んでいく多読を始めるのがいいタイミングと言えます。まず、洋書売り場へ行ってみましょう日本買樓須知。もちろんネットで洋書を探してみるのもお勧めです。

本選びで注意したいのは、「読みたい本=読める本」ではない点です。背伸びをせず、自分のレベルより少し易しいレベルの本を選ぶことがポイントです。最近では、“Oxford Reading Tree” や“ラダーシリーズ”、“Penguin Graded Readers”など、多読に適した作品をまとめたシリーズが複数、出版されているので、それらのなかから興味ある本を選ぶといいでしょう。

多読用の本は段階別になっているので、自分のレベルより低いレベルの本や、書店でページをめくってmd senses 好唔好、「簡単そうだな」と思えるレベルの本を選びます。一般的なペーパーバックや英字新聞に手を出したくなる気持ちは分かりますが、多読訓練のためにはそこをぐっと抑えて、多読用の本から選びましょう。多読用の本は児童図書とは異なり、古典や伝記、ノンフィクションや小説などを、簡単な英単語で書き換えてあるため、大人でも十分に楽しめる内容になっているのが特徴です。

多読に挑戦するときは、次のルールを厳守してください。それは「覚えない」「調べない」「繰り返さない」です。音読では、「覚える」「調べる」「繰り返す」が基本ですが、多読はスピード感を重視するため、いちいち辞書で調べず、出合った単語を覚えようとせず、繰り返し読まずにどんどん読み進めるのが基本China Company。しつこく追求するのはやめておきましょう。そうすることで、スピード感ある読解力が身につきます。

分からない単語が出てきたときは、「調べる」のではなく、前後の文章から「推測」します。「たぶんこういうことじゃないかな」と推測しながら、読み捨てていく。そして、楽しむのです。この「推測する」という行為は、実は英語にはとても大切。会話で分からない単語が出てきたとき、ある程度推測して理解していくことが求められるためです。

思って胸が締め付

昨日久しぶりに君の声を聞いた。なんだか落ち込んでるような様子で

「話したいよぅ。。」

って、LINEが来たからだ。昨日は朝から仕事だったのだが、1も2もなく僕は君に電話を掛けた。

トゥルルル トゥルルル トゥルルル。。

なかなか出ない。。やっぱり無理そうかな?

と、諦めかけた矢先、君の可愛らしい声が電話に響いてきた。

「おはよ☺どうしたの?間違い電話?(笑)」

なんて、のんきな声が(笑)

いやいや、僕は君のピンチかと思って、電話をしたのだよ。

もし、君のピンチのときは何を差し置いても飛んでいくよ。

結局、何でもなかったのだけど、、久しぶりに君の声が聞けて良かった。

どうして、君の声はこんなにも僕の心に染み渡るのだろう?

どうして、僕は君の声を聞くだけでニヤニヤしてしまうのだろう(笑)

あのLINEを見たとき、これは君からのSOSだと思って胸が締め付けられた。

もし、本当にSOS を発信してきたのだったら、僕は仮病を使ってでも、職場を飛び出し君のもとに駆けつけただろう。

だから、何かあったときは何でも言ってね。

僕は君のHEROになりたいのだ。

僕は君を守るKnightになりたいのだ。

君がどんなに男らしくても(笑)僕に守られるべき対象であることは変わりない。

もはや今や君は僕の精神的な庇護下において、完全に僕の精神的な支柱でもあるのだ。

お互いの入り組んだ構造の中で、複雑に絡み合い、君なしでは立っていることも覚束ないだろう。。

ここに来て、完全な共生関係にあると自覚させられた。

僕には君が必要でとても大切な存在であると。。

が履きたいです


数日前にちょっと書きましたよね。

コルプレではないかもしれませんが袴が履きたいです。


あと、私は洋服に関してはレディースよりもメンズが好き。

スナップレオンとか眺めてたりします。

で、コスプレもキャプテンジャックスパロウとか通渠公司ハリーポッターのルーピン先生みたいなのがいいな。(割と普通)


漫画はほとんど読まないのですが、進撃の巨人の制服みたいなのはかっこよくて好きです。

痩せてたら着てみたい。


ずーっと以前、ユニバでハロウィンのパレードに参加するのにチアガールの格好をした方がありますが、周りから「痛い」って言われちゃった。

ま、年齢が年齢ですからね…

でも、お遊びでさえ周囲の目とか気にしなくちゃいけないのね銅鑼灣通渠?って、ちょっと残念でした。

もうこの歳になったら魔法使いのおばあさんぐらいしかないんじゃない?


大阪にいた頃、南港のATCに行くとコスプレをした若い子達にたくさん出会いました。

なんでも「コスプレの聖地」なのだそうです。

今の子はいいですねぇ、楽しいだろうな。

うちの子は人に見られるのが嫌いらしく日本購屋、出来るだけ目立ちたくないと言っていますが、私はわりと出たがり。

若かったら神社で巫女さんのアルバイトしたいとか、コスプレもしたいとか思うんですがね…

ほられる親もい

わたしの父は教養至上主義。母は無教養。
母のポリシーは、
「教養があるからって、何?
そんなこと考えるヒマがあれば、働け〜」である。

馬車馬のごとく、体を酷使して意識を失うまで働くのが、母流。
父も教養もあるが、働き者でもあった。

さて、こんな親に育てられると、、、。
「何? そんなことも知らんのか。レベルが低い奴め」と父目線。
「学校で一体、何を習っているんだ。遊んでいるのか? 働け」と母目線。

教養と労働の押し付け教育。

さらに、時間の無さ。
経済と時間は両立せず。
お金はあっても使うヒマがない父。
なので、どんどん貯まる一方。
やがて、それは一つの趣味になる。貯蓄。
とは言っても、好きにしていたようだが。

遺産を目当てに、勤勉さを欠いては意味がない。
自分の食べる分は自分で稼ぐ。
そういう方針が涼しげで良い。
もたれかからない、自立の道。

だが、大概の親は、お金をチラつかせて歓心を買おうとする。
子供に取られるだけ取られて、ほられる親もいる。
教育は、大事である。

理想ばかりでは、今日のご飯が食べられない。
働かない者、食うべからず。
これは理に適っている。
私が親から無言で教わったものだ。


勉強が出来るだけではAIに負ける。
AIに勝つ、超えるには、ブレンド力や勘の鋭さ。
天性のものではあるが。
末端の作業や、ルーティンが好きな人、得意な人も必ずいる。
彼らに、クリエイティブな能力を要求しても、お互いが不幸。
なんの能力も生産性のない人を否定したら、ボコボコに糾弾される。
真っ先に自分が否定される側になりそうだ。

生産性の定義が難しい。
日本は、土俵際で負け勝負になっている事実をあちこちニュースで垣間見る。

自分のことだけ考えて、引きこもっているのは、わたしのような人物にはちょうど良いのか?
まあ、それはそれとして、惚れ惚れする秋晴れを楽しめる、今日に感謝している。

黄金狂時代のア

毎年この時期になると『ベストジーニスト』なるものの選出があり、
今年も、その発表があったSage 50
1984年からスタートしたもの。今年で35回目になるという。
この選出基準は、ジーンズが似合う者となっているというが、
どちらかと言えば「その年の旬な人」が選ばれることになっているようだ。
ジーンズがよく似合う」といっても、かつては、
ゴワゴワとした、いかにも労働者の穿く物のイメージ。
そのイメージで『ベストジーニスト』などを選んでいると、いかにも、労働着の似合う人。
選出されるのはガッツ石松上島竜兵あたりだったろう。
だけども、ファッショナブルに着こなすおしゃれパンツに変貌している。
そのため、『ベストジーニスト』は「今が旬」のおしゃれな人物となるようだ。

ジーンズの発祥は、アメリカに金鉱を見つけようと移動した人々の知恵から生まれたもの。
金鉱を見つけることは大変なこと 痔瘡醫生推介。どこでもテント生地にくるまって眠る。
そんな生活。それなら、そのままパンツにして穿いてしまえばどこでも眠れることになる。
そして、このデニム生地をインディゴで染めると、
ガラガラ蛇も寄り付かないという。
金鉱堀り師たちは、ポケットに工具を入れていると、
すぐにポケットの端にほころびができる。
そこで、金属リベットで留めた。それなら丈夫。
こんな風に、黄金狂時代のアメリカが生んだ生活上の傑作が、
今や、ファッショナブルに生まれ変わった。
デニムはフランス発祥という話がある(serge de Nîmes =フランスのニームからの意味
この”de Nîmes”が”denim”となった)が、アメリカ生まれのジーンズは
戦後の時代には逆にフランス人の憧れになっていたようだ痔瘡手術收費
1960年のフランス映画『地下鉄のザジ』に人気のアイテムとしてジーンズが出てくる。
主人公である10歳の少女サジは、一人でパリに出て来た。
そこには、オトボケの悪い男ガブリエルがいた。この男、サジをかどわかすために
その当時人気だったアメリジーンズをサジに見せる。
サジは、ちゃっかりジーンズだけを奪い取って去ってしまう。そんなシーンが出てくる。

今やジーンズは街着として、すっかり定着している。
TPO でも、ほとんどの場所でもOK。
だけども、さすがにフォーマルな席では、まだ”違和感”といったところだろう。
デニム生地のタキシードなどは、今のところは考えられないが、
ジーンズが世界で一般化してから50年。

この勢いでは、近い将来、フォーマルもありうる...?