北海道旅行をした

昭和40年、大学1年の私は夏の休みに北海道旅行をした。
当時、学割の北海道均一周遊券があった。
確か5000円で、東京駅から北海道内の国鉄の駅、乗り放題降り放題の往復普通乗車券が買えた。
折り畳みの冊子の様な切符で、乗車駅降車駅でスタンプを押してくれた支付寶 充值
旅行期間の制限はあって、確か15日間以内だった。

多分目一杯使ったと記憶してる。

まさにdreamy travel だった。

私は小金持ちで子供のいないおばが複数いて、小さな頃からずっとお年玉をもらっていた。
それと一人っ子だったのでお小遣いは他の子よりも貰えた。
それらをコツコツ貯めたお金で、小旅行をしたのである。
念願の北海道旅行もその一つだった。

当時聞いた「北帰行」などの歌にロマンを感じて、北の大地に憧れていた。
それも、一人で気ままなペースで回れる旅をしようと、大雑把に旅の計画を立てた。
見知らぬ人や見知らぬ土地との偶然の出会いが、とても好きだったのだ支付寶hk轉帳

大雑把な計画は時刻表を見て立てた。
宿は安くて安全なユースホステルにしている。
従って、ユースホステルのある駅まで原則鉄道に乗って行く旅である。
旅の道筋の記憶を辿ってみる。
勿論大体の記憶なので間違っているかも知れないが。

まず東京から夜行列車と青函連絡船で函館、次に女満別まで国鉄に乗る。女満別で最初の宿を取った。
女満別から知床半島、途中サロマ湖を通って、旭川で途中下車。
スッゴク道路が広くて長くて整然とした街だった。
そこから宗谷本線で稚内へ行き礼文島に船で渡る。
そこから又、函館に戻り、函館近くで宿に泊まる。
帰りは又、夜行となる。
途中、何度かユースホステルに宿泊したが細かい記憶はない。
ただ、モヤモヤしてた心がスカッとなった旅だった事は鮮明に覚えている。
自分にピッタリの旅だったようである。

昔は今よりずっと、危険な人も場所も少なかった感じがする暗瘡治療
(こういう能天気さはもう通用しないけど)
途中、礼文島に渡る船旅で船酔いしたり、サロマ湖一周の船出の時間に遅れて道筋を間違えた。
ハプニングが起こっても、当時も少し脚は悪くても、若さで乗り切れた様に思える。

服装も食事も宿も全てチープであるが、気分は思い切りリッチな18歳(大学生でも誕生日が来てないので)の私は勇躍旅立った。

夜行列車と青函連絡船を経て、函館港に着いた時、嬉しさのあまり、両親に「ホッカイドウツイタ」と電報を打った。
電報は打った字数によって全然値段が違うのだ。
携帯など想像も付かない時代だった。

一番楽しかったのは蝦夷富士(羊蹄山)の麓のユースホステルだった。
駅で飲んだ蝦夷富士から湧く地下水は飛び切り澄んで甘かったし、宿まで行く道は広くひとっこ一人いなかった。
辺り一面青々したクローバー畑でそこで四つ葉のクローバーを摘む事が出来た。