議論は平行線に

ナチスに抵抗したハンス・ショル、ゾフィー・ショル兄妹の様子を描いた「白バラの祈り」という映画を見ました。ドイツ国内で、その兄妹は反戦・反ナチス運動を堂々と行ない、逮捕され、処刑もされてしまうわけですが、その妹のゾフィーナチス役人とのやり取りが鮮明に復元されていました。皆様もぜひご覧になると良い映画です。

そのやり取りの中で、ゾフィーは「戦争の継続はドイツの若者を犬死にさせるだけだわ」と厳しくヒットラーの政策を批判します。それに対し、役人は「ヒットラーはアウト・バーン(高速道路)も作り、ドイツ国民の失業問題を解決した」と、ナチスがドイツ人の繁栄に寄与した事を強調。議論は平行線になるわけです。そこから、僕は「ヒットラーの戦争目的は何だったのか」と考えました。全ての戦争や虐殺には目的があるからです。歴史を見ても、戦争の為の戦争はあり得ません。マルクスは経済学者である事もあり、戦争の理由を経済に絞って見ていたわけですね。確かに、経済も大きいです。中世の前に、フン族が食べ物を求めて、ローマ帝国に侵略した事は有名ですし。現代でも、石油の利権を巡っての戦争も多発していますね。

ナチスも当時はドイツ国内で富がユダヤ系の人たちに偏っていたので、それを強引に是正するためにあのように、虐殺したとよく聞きます。その見方も間違いではないと思います。その他、その映画の役人の発言からも判りましたが、ヒットラーナチスはドイツ民族の人たちの事しか考えていなかった。ドイツ人さえ良ければ、それでいいと思っていた。確かに、ヒットラーも平和や繁栄を求めましたが、それは「ドイツ人だけの」平和と繁栄です。また、ドイツ人の中でも、精神障碍を持った人は、人間とも思っていなかった。つまり、「健康な精神を持つドイツ人」の平和と繁栄のことしか考えていなかったわけですね。

その頃の日本にも言えます。やはり、「日本人だけの平和と繁栄」を求めて、陸軍は満州に侵略しましたし、2.26事件を起こした青年将校たちもそうでした。これに対し、世界的な視野を持った当時の犬養首相が彼らに反対しましたが、議論が噛み合わず、殺されました。以上のゾフィーナチス役人のやり取りとそっくりです。

世界史を見ても、戦争は大体、指導者や国民・人民の多くが自分の国や民族の事だけを考えて、世界的な視野が欠落した時に起きています。あるいは、十字軍戦争がそうだったように、自分たちの宗教の事だけしか考えないとか。全人類的な視野が必ず欠けています。自分たちの国や民族、宗教の事しか考えないと、それが「執着」となり、視野が狭くなり、世界的なバランス、特に経済バランスを大きく崩し、損害を受けた国は怒り、反撃し、戦争になっています。世界史はその繰り返しと言えるでしょう。

でも、戦争の後、その国だけでなく、世界中の人たちがそのようになった原因を細かく分析し、強く反省をします。それでかなりの資料と情報がもたらされる。戦争の数は今までに非常に多いから、資料と情報、反省も膨大な量になる。当然、哲学や平和思想運動にも強い影響を与えるわけです。先の大戦でも日本やドイツの事だけではなく、第一次世界大戦後に戦勝国のグループがドイツに過度に弁償金を求めた事も、ドイツ経済を疲弊させ、ドイツ人だけのナチス思想が生まれた原因である事も解明されています。

科学的に見ると、「人間」なる生物は数百年前にアフリカの一地方で類人猿から進化して生まれ、世界中に散ったわけです。日光が少ない地方に行けば皮膚色素が白くなり、多い所では黒くなり、中間の所では黄色くなっただけの違い。今でも全人類は遺伝子が99%以上が同じで、兄弟姉妹みたいなものです。国とか民族の違いは本当は幻想なのですが。その事に世界中の人たちが気が付けば、国家エゴみたいな事は消えて、世界平和になっていくわけですが。でも、気が付かなければ、核戦争になり、人類は滅びます。今は地球を滅ぼす兵器もあるわけだから。どちらを選びますかね。アインシュタイン博士のベロを出した姿も、その事を我々に問うていると思われますが。